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フレーザー島の歴史

何千年もの間、世界最大の砂の島は、先住民であるバッチチュラ族のアボリジニ(Badtjala Aboriginal People)から「K'Gari」と呼ばれていました。バッチュラ語で「K'Gari」(カガリ)とはパラダイスを意味しました。

その後1836年にジェームス・フレーザー(James Fraser)船長に率いられた帆船スターリング・キャッスル(Stirling Castle)が難破しその生存者グループが島の海岸線にたどり着きました。その後の出来事は、アボリジニにより難破船で島にたどり着いた人々が虐待され、平穏だった島を世界的に悪評高くする事になりました。(白人による説) そして結局、フレーザー島艦長と乗組員の墓を探しにやってきた探検家のアンドリューペイトリーがフレーザー島と呼んだ事から、以降フレーザー島と呼ばれるようになりました。

アボリジニの歴史

島でのヨーロッパ人の行動は伝統的なアボリジニの生活を非常に混乱させ、マリボロ(Maryborough) 付近の地域に移住が行われた1850年代には、移住者とアボリジニの人々の間で悲惨な戦争が起こりました。この戦いの間に多くのアボリジニが亡くなり、又それに続く何年かで、白人が持ち込んだ病気が原因でさらに多くの人々が死亡しました。

1870年に初めてフレーザー島でアボリジニの為の居住区が設立されましたが、1893年には閉鎖されています。1897年に南部地域のアボリジニ保護者アーチボルド・メストンが2度目の居住区を開設しましたが、彼の試みは不成功に終わり1904年には取りやめとなりました。島内のアボリジニの人々は北部クィーンズランドにあるヤラバ・ミッションへと移されていきました。 (白人による)居住開始から2度目の居住区を閉鎖するまでの約50年の間に、フレーザー島に住むバッチュラ族のアボリジニの人数は2,000〜3,000人から20人に減りました。今日では、かつてはこの砂の固まりを家と呼んだアボリジニの人々の形跡を殆ど見ることができません。カヌーを掘った跡のある木や、貝を食べた後の貝殻の堆積を見つける程度です。貝は彼らにとって貴重な食料の一つでした。

初めてのヨーロッパ人

初めてフレーザー島を発見したヨーロッパ人は、1770年のキャプテン・ジェームス・クック(Captain James Cook)でした。
島の北東にある崖、「インディアン・ヘッド」(Indian Head)にいるアボリジニを航海中の船から見た彼は、黒くてインディアンが沢山いると思ったらしいインディアンヘッドと名づけました。 また「サンディ・ケープ」(Sandy Cape)は、2つの大きなサンド・ブローがあった為こう名付けたそうです。彼はフレーザー島は大陸の岬だと思っていました。

フレーザー島の産業
※用語の注意:「  」はフレーザー島内の地名、"  "は物質、現象、動植物等の名称

木材産業

863年に、カウリパインの丸太(Kauri Logs)が初めて本土に船で運ばれ林業が始まりましたが、1864年にジョン・ピゴットがアボリジニによりなぐり殺されたことにより、フレーザー島の木材産業は一時的に衰退しました。彼の悲惨な死に方の為、以来1868年までフレーザー島ではメジャーな伐採業は行われませんでした。

その後、西海岸の「ワングーバ・クリーク」(Wanggoolba)付近で伐採業が始まり、徐々に島内の降雨林地域へと広がっていきました。"フープ・パイン"(Hoop Pine) "カウリ・パイン"(Kauri Pine) "ホワイト・ビーチ"(White Beech)が最も伐採のターゲットにされた木でした。

1913年、最初の林業用キャンプが「ボギンバ・クリーク」(Bogimbah Creek)に設営され、1916年には「ワングーバ・クリーク」(Wanggoolba Creek)の河口にキャンプを移動しました。多くの蚊やサンド・フライ(ブヨ)、また痩せた土壌等の悪状況の為、キャンプは1920年、海岸より10km内陸に入った「セントラル・ステーション」(Central Station)へ再び移動しました。このキャンプは現在、クィーンズランド州立公園とワイルドライフ・サービス(QPWS)により使われ、レンジャーの事務所が設置されています。 また、キャンプ客ようの施設やフレーザー島の歴史を知るディスプレーなどもあって、フレーザー島の代表的な観光スポットとなっています。

1918年シドニーのH.マッケンジー会社が4000haの土地における10年間の権利を買い取り、即座に「ノース・ホワイト・クリフ」(North White Cliffs)に最初で最後の木材工場を建てました。それは現在のキングフィッシャーベイリゾート&ヴィレッジから僅か2km 南へ行った場所です。1925年までに工場は不要となり、マッケンジー社は工場を売りに出しました。工場の設備は競売にかけられ、蒸気機関車、路面電車の線路や波止場は林業協会に買われ、蒸気機関車はその後10年間運行されました。

フレーザー島には島の中心部から西海岸へ木材を運ぶ為に何本もの路面電車路線が造られました。その西海岸から丸太をハービーベイに渡し、本土側の製材所に運ばれました。 現在観光で使用している砂の道はすべて、林業で使われていた道を再利用しています。

1925年頃、以前は伐採されなかった"サティネー"(または"ターペンタイン")が30mを超える真っ直ぐな幹を有し、海洋生物の侵食に強いということで世界的に有名になりました。フレーザー島の"サティネー"はスエズ運河の側壁に使用されました。

フレーザー島での木材伐採は、環境に対する取り組みから1992年12月の世界遺産指定の前の1991年11月に完全に終了しました。

マヒノ(Maheno)

「マヒノ」は豪華な蒸気客船で、400人以上の人を運ぶことができました。1905年にスコットランドでニュージランドの会社の為に造られ、オーストラリア、ニュージーランドとカナダの間をを航海していました。「マヒノ」は最高速度17.5ノットの非常に速い船でした。「マヒノ」は幾つかの最高速度の記録を持ち、その一つはオークランド−シドニー間を3日以内で航海したものでこの記録は25年間保持されました。

第1次世界対戦中、「マヒノ」は海軍の病院船として改造されイギリス、エジプトとオーストラリア間を航海しました。戦後、「マヒノ」は再び豪華客船としてオーストラリア−ニュージーランド間を航海していましたが、1935年には「マヒノ」よりも大きく、速い客船が運営を始めた為、「マヒノ」の運営は終了しました。

その後、「マヒノ」はそれより小さい「オーナ」という船と一緒に日本の会社に買却されました。2艘の船は「オーナ」が「マヒノ」を牽引する形で日本へ出発しました。1935年7月8日、フレーザー島沿いを航海していた2艘の船は悪天のため「マヒノ」を牽引していたチェーンが切れ、「マヒノ」は浜辺に打ち上げられ、停止しました。「マヒノ」には8人の日本人船員が乗っていて、船がフレーザー島のビーチに着くまで無事でした。船はビーチに打ち寄せられると修理不可能な程のダメージを受け、船の引き上げ作業も行われませんでした。

第2次世界対戦中、「マヒノ」はオーストラリアの空軍・海軍の標的を定める練習に使われました。
船の周りのビーチにあった破裂弾が「セントラル・ステーション」(Central Station)で今も保管されています。

ご注意

「マヒノ」難破船には今も砂に埋まった3つの甲板があります。難破船上を歩いたり、登ったりする事は非常に危険ですので、難破船見物は砂浜からのみ行って下さい。

   

観光業

1934年、「ハッピー・ヴァレイ・リゾート」(Happy Valley Resort)が設立され、フレーザー島に観光業が進出しました。事業は2年後に終了しましたが、同じ名前を使った他のリゾートがオープンしたのは1950年のことです。
1963年には「マーロー湾」(Marloo Bay)の「オーキッド・ビーチ・リゾート」(Orchid Beach Resort)と「ユロング・リゾート」(Eurong Resort)が共に設立され、フレーザー島の観光業は活気を帯びてきました。

そして、1992年7月には西海岸に「キングフィッシャーベイ・リゾート&ヴィレッジ」(Kingfisher Bay Resort & Village)がオープンし、環境に配慮したエコリゾートとして開業以来、いくつもの環境観光賞を受賞してきました。

滞在中にはフレーザー島をまわる各種エコツアー、ホェールウォッチングツアーなど、訪問者への環境教育も兼ねたプログラムを提供しています。

現在、フレーザー島観光のベースキャンプとして国内外からの観光客に利用されています。

地理的概要
※用語の注意:「  」はフレーザー島内の地名、"  "は物質、現象、動植物等の名称

世界最大の砂の島フレーザーは、長さ123Km、平均15Km(最大幅22Km)の島です。

フレーザー島の水面下での延長部分である「ブレイクシー・スピット」(Breaksea Spit)は「サンディ・ケープ」(Sandy Cape)から北東に45Kmも伸びています。島の殆ど全てが砂で成りたっており、何十億トンもの砂は244mの高さにも至る壮大な砂丘を形成しています。

天候・気温

平均最高気温は、冬…22℃・夏…29℃です。この島で吹く風は主に南東の風で、夏は北西の風です。これらの 風は島の東側海岸線部分を継続的に造り上げる<大自然の工程>の一部でもあります。

地質

「フレーザー島はその殆どが砂で形成されていますが、東海岸の「インディアン・ヘッド」(Indian Head)「ウァディー・ポイント」(Waddy Point) 「ミドル・ロックス」(Middle Rocks)及び西海岸の「バン-バン・ロックス」(Bun-Bun Rocks)でのみ火山岩の露出による 岩石が見られます。 "ティーワ・サンズ"(Teewah Sands)は"クールーラ・カラード・サンズ"(Cooloola Coloured Sands)と同様に色の付いた砂で泥や粘土を含んで固まったものです。「ピナクルズ」(Pinnacles) 「カセドラルズ」(Cathedrals)における壮観な侵食の様子とその 色は"ティーワ・サンズ"によって形成されたものです。オレンジや赤色のカラーサンドは鉄の酸化により、黒はルータイル、ジルコン、イルナメイトと呼ばれるミネラルにより色付けられています。

島の形成
※用語の注意:「  」はフレーザー島内の地名、"  "は物質、現象、動植物等の名称

ノース・ストラドブローク島、モートン島、カルーラ・ビーチ(フレーザー島より南の東海岸線地域に所在)の砂の集積と同様にフレーザー島はグレート・デイヴァイディング山脈(南東QLDの内陸部)の岩が侵食された砂で形成されています。これらのミネラル分が多く含まれた砂は、NSWやQLD南部の川から海へと流れていきました。海流や波がこれらの沈澱物を徐々に海岸に沿って北へ動かしました。

この動きを"Longshore Transportation(長距離海岸輸送)"と言い、今日も続いています。北へ向かうこの砂の動きは、岬によってせき止められ、累積して砂浜を形成していきます。砂浜からの飛砂は、満潮時でも波の届かない所まで風によって吹き飛ばされ砂丘を造り始めます。植物の成長が砂丘を固定させ、砂丘から吹き飛ばされた砂を更に捕まえ、砂丘の高さを増していきます。

「サンドブロー」(Sand Blow)

強風や異常に乾いた気候の状況下では、植物は砂丘を固定することができず、サンド・ブローが形成されます。 砂浜の砂が継続的にそのブローの頂上部分へ吹き上げられ、風下の方に落下します。このようにして、サンド・ブロー は前進し、その前方に砂を堆積させ、その通り路にある草木や他の砂丘を覆い隠してしまいます。

地表は古い 砂丘の上に積もった新しい砂丘として盛り上がります。これは飛ばされる砂がなくなり、植物がサンド・ブローを囲い込むまで続きます。

今も島の東海岸の25ケ所以上で活動中のサンド・ブローが存在しますが、以前より前進速度は速くありません。

島の水
※用語の注意:「  」はフレーザー島内の地名、"  "は物質、現象、動植物等の名称

島の大量の砂は巨大なスポンジの役割をしています。多くの雨水が砂に浸透してドーム型の地下水面に蓄えられ ます。所々で大量の水が砂丘よりしみ出て、東海岸で見られる小川になっています。 また、水は湖や海へもしみ出ています。たくさんのフレッシュ・ウォーター(淡水)の湧き水が東海岸で見ることができます。フレーザー島には40を超える美しい湖があり、いくつかは水晶のように透明な湖で、他は赤みがかった色 あるいは茶色の湖で、フレーザー島ではこれら2つのタイプを見ることができます。

「ウィンドー・レイク」(Window Lake)

ウィンドー・レイクやその他の沼は地下水面が地面よりも高くなっている所にできます。これらの湖や沼では、地水面がその水量により上下すると、水面の高さも動きます。

「パーチド・レイク」(Perched Lake)

−「マッケンジー湖」(Lake McKenzie)、「ベイジン湖」(Basin Lake)等−

真っ白なシリカサンドとコバルトブルーが美しいマッケンジー湖

パーチド・レイクは砂丘と砂丘の間のくぼみで、皿状の堅い砂の層が形成された場所にできます。この堅い砂の 層は腐った植物と鉄の粒子が砂を固める結果、出来上がります。雨水はこれらのくぼみの上に溜まり、非常にゆっくりとしか、漏れていきません。こうして地下水面よりもずっと高い位置にパーチド・レイクができます。

フレーザー島には世界最大のパーチッド・レイク、「ブーマンジン湖」(Lake Boomanjin)があり面積は約190haです。

「イーライ・クリーク」(Eli Creek)

「イーライ・クリーク」は島内で最大のクリーク(小川)で東海岸に流れ出ています。島の内部約5kmの地点に端を発し、1時間に4.5百万リットルの放水量が計測されてます。クリークには気持ちの良いボード・ウォーク(散策路)があり、又、冷たいフレッシュウォーターでの水泳でリラックスするのも良いでしょう。

東海岸沿いには50以上の小さな川が海へ流れ出ています。島から流れ出るこれらの小川もフレーザー島内部に蓄えられた水量を少し変えるだけに過ぎません。フレーザー島がいかに大量の水を蓄えているかが分かります。

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